嘘つきみーくんと壊れたまーちゃん―幸せの背景は不幸 1巻 入間 人間
前知識がなかったら楽しめたかも知れない作品。前知識、作品に対する書評とか戯言シリーズとか。それらを知らなかったら楽しめたかも…。
ま、クビキリサイクルからラノベを読み始めた私には無理な相談なんですけども。
作品の最後でどんでん返しがあります!とか言われちゃうから身構えて読んじゃって。身構えてなかったら素直に感心してたのかな…、解らない。
いやはや、どうしても戯言シリーズ、西尾維新先生と比較をしちゃう読み方になっちゃいますよね。類似性が気になって気になって内容どころじゃなかった気がします。
感想もそこが中心になっちゃいますね。
で、本作は確かに似ていますけども、やっぱ違うと思います。
名前が平凡さだとか、文字のレイアウトだとかいくらでも弄りようがあるものはは置いておいて。
言葉遊び
どちらの作品でも言葉遊びが顕著なんですけども、嘘つきみーくんでは韻を踏んで言葉を並べることでしか遊んでないんですよね。たぶん。
戯言シリーズでも韻を踏んで言葉を改変しますけども、それによって常套句を強調したり反対の意味にしてみたり。君の瞳に困憊だとか。
串中弔士の言葉を借りるなら言葉遊びレベルが戯言シリーズのほうが高いかなぁと。
文章の勢い
文章のリズムって言うんですかね。声に出して読むと実感できるのかな。文章の区切り方とかその辺。上手く説明できないんですけども、あれが違うなぁって。
上手く説明できないから何処がどう違うかも説明できないんですけども。
みーくんといーちゃん
終始戯言シリーズが頭を離れず、みーくんのキャラの把握をいーちゃんとの比較によってしていました。
みーくんといーちゃんはどちらも欠陥があって、捻くれた人間なんですけども。いーちゃんの場合は後ろ向きであることを力いっぱい肯定している。後ろ向きに全力を出している。
みーくんは後ろ向きであることを肯定も否定もしていない。停滞している。
ああいう性格の人間ならば、みーくんのようになるのが自然な気もします。でも、停滞していて空虚な分、キャラクターが薄くなっちゃってるなぁとも。
空虚な分、漠然とした危険性も感じていましたが、種明かしをされちゃうと残るのは空虚さだけ。読後感を悪くするようなことはありませんが、パンチが効いてないかも。
うん、まぁそんな感じで結構違うと思いました。でもこれを敢えて1人の作者が著者名を変えて執筆したんだとしたらそれはそれでスゴイかも。
ジャケ買いとヤンデレ
ジャケ買いしそうになったんですよ。後ろ手で包丁持ってるんですよ、表紙のまーちゃん。短絡的とは言えヤンデレ分を期待しちゃうじゃないですか。
結論としては私の好むヤンデレではありませんでしたよ、っと。つまり愛故に病んだヤンデレではない。そこは注意かも。