聖杯戦争から降りたら足の骨にヒビいれられました。
ハマるかどうかはまだ微妙なトコロ。
難解な単語と、設定を読み下すのに精一杯。そこを理解するために読み進めたい気持ちもあるんですけれど、(
一番の目的はもちろんセイバーに魔力を供給する事)それで読者を引っ張るってのもズルい気もする。宮部みゆきの小説に似てないこともない?
主人公?の遠坂凛と衛宮士郎のどちらもが優等生すぎて面白みがないというのも。優等生というか、一歩引いた非常にクールな部分がありますよね。お陰で情景描写とかが冷たい感じになってると思うんです。
それに殺人サバイバルゲームに参加している癖に、あの遠坂の平静っぷりは何なんだろう。殺し殺されるのを受け入れている魔術師と言われても、そこからして理解し難い=感情移入できない。
で、冷たい描写の癖に、セリフ回しがわかり難いというか。設定が難解すぎるというか。
サーヴァントも、マスターも、聖杯も、魔法も、魔術もどれも現実に無いものだから、それが更に複雑に絡み合う設定を説明するセリフはどうしても難解になりますよね。
どうしても「ひぐらしのなく頃に」と比べてしまう。あんまし良い事じゃないんでしょうが。
同じサウンドノベルというジャンルですけれども、一番の違いは、文章の熱さにある気がします。
無駄に熱くて、クサい文章。あのジョジョっぽさがある文章が好きなんですよ。ってひぐらしの感想になってるッ!
2番目の違いは選択肢が「あること」ですか。
サウンドノベルの中で、選択肢が「ない」というひぐらしのほうが異端なわけですが、私がプレイしたサウンドノベルなんて「ひぐらしのなく頃に」と「弟切草」くらいなものですんで。
選択肢があるからこそゲームなわけなんですけども、選択次第では取ってつけたような「突発死」にぶち当たるのは如何なものかと。突発死にぶち当たって「何この糞ゲーwww」って素で思ってしまいました。
選択肢があったほうが緊張感が出る?選択する事の重みが出せる?
そんなもんセーブ&ロードでどうとでもなるじゃないですか。
「ひぐらしのなく頃に」は選択肢を排除する事によって、作者さんの伝えたいことがダイレクトに伝わってくる様になっていました。
その結果、ゲーム内でプレイヤーが試行錯誤するのではなく、作者さんが仕組んだ罠だらけの文章から何を読み取るかという事にゲーム性が生まれたんですよね。
ゲーム内で完結することなく、さらに高次元で作者さんと読者の間のゲームとして成立したんですよ。「ひぐらしのなく頃に」のその感覚が本当に目からウロコでした。
って、あれ?それってただの小説じゃん。その何だ、その罠だらけの文章を重ね透かすと真相が見えてくる。その構造も良かったんですよ? ってまたひぐらしの感想になってるッ!
以下ネタバレ(?)込みの感想
セイバーに足ヒビ入れられて、帰り道にバーサーカーに襲われてBADEND
あのイリヤの態度にちょっとだけおっきした私の性癖は間違ってる。ところで、臓器の大部分が無くなった人間(首だけでしたっけ?)を、意識を保たせたまま生かし続ける魔術って、すっげぇ高等なんじゃないかと。
気絶させない魔術ってどんなんだろう。神経を鈍くするのかね。でもそうすると反応が薄くて詰まらないような。
強制的に過敏にして覚醒させ続けるにしても、即行で気が狂うような。 まぁ、突発死の事を考えても仕方ないか。
んで、やり直して。とりあえずバーサーカーに半身吹っ飛ばされたけど翌朝再生していました。って所まで進めました。
セイバーへの魔力供給の日は近い?ここらまで読んで、私はオチが読めましたね!!
ひぐらしのなく頃にの推理は今読み返すのも恥ずかしい程の大はずれップリでしたけども!
士郎=アーチャーでしょ?
英霊は人の世なら時間の概念がないっぽいから、未来の士郎が召喚されても問題はない。
遠坂に縁のあるものとしてアーチャーが召喚された理由にもなるし。やけに弓道部がプッシュされているしさぁ。
とりあえず、士郎がこの聖杯戦争で活躍して正義の味方になるわけですよ。でも、途中で死ぬ。英雄の条件は死ぬ事!「死んだ奴が英雄と呼ばれるのさ」理論ですよ。
士郎は聖杯を手に入れられないんだ。でも、死後英霊に昇格していてアーチャーとして遠坂に呼ばれるのさね。で、遠坂が聖杯を手に入れて聖杯戦争の死者を蘇らせる。ハッピーエンド。そんな感じだと思うんだ!
そもそも士郎の出生も怪しい。前回の聖杯戦争の勝者が新たな英雄が生まれることを望んだ結果、火事で死んだ人たちの記憶から士郎が作り出されたとか。
神話の英雄てのも大抵が人外の存在なんですよね。
ああ、私はネタバレしてますけど、人からネタバレされるのはイヤですんで、当たっていてもハズれていても解答は要らないですよっ!私の推理を見て生暖かい目でニヤニヤしていて下さい。